『愚者の光』「Who killed “Cock Robin” ? 」ネタバレ

DX3「Who killed “Cock Robin” ? 」の重大なネタバレを含みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

飴恋、10歳。

それは、ありふれた事故だった。
友達たちと遊んでいた放課後の校庭。キャッチボールをして、同年代の中で少し野球のうまい友達にテクニックを教わっていた。
「体育の時間、自分だけスポーツテストでへたっぴなのは嫌なんだもん」
そう言った自分は、言葉通りとろくさくて、かけっこも悪くない速さで走れるのに転ぶ。そんなに肩が弱いわけでもないのに、ボールはへろへろと地面を叩く。
要するに、運動に関しての要領がよくなかったのだ。
「でも、いこいの兄ちゃんってスポーツマンじゃないの?ほら、バスケとかやってなかったっけ」
軽快にボールを投げ渡しながら、友達は不思議そうに兄のことを訊く。
「兄ちゃんは……高校入ってから忙しいんだ。遊んでくれないわけじゃないんだけど、疲れたなーって
結構帰ってからソファで寝ちゃってたりしてて」
「ふーん?勉強とか難しいのかな。高校生って」
ぱし、ぱし、と学校から借りたミットにボールが収まる。少年団に入っている彼は、確かに上手というのも納得だ。
「だから、兄ちゃんに見せるんだよ。スポーツテストの結果持って帰ったら、すごいなってびっくりするでしょ」
秘密の特訓ってやつ?とけらけら笑って見せた。得意げになった自分は、西日に一瞬眩んだ視界の中に紛れたボールに気づかなかった。
「……っ、いこい!!あぶない!」
声に我に返り自分を庇う腕が間に合わなかった。そうだ、自分はいつもとろくさいのだ。
ごつん、と左顔面に激突したボールが転がるのを、グラウンドの砂の上からぼんやりと見ていたのがその日の最後だ。

ごめんなさい、なんとお詫びをすればよいか。本当にうちの子がご迷惑を――
白いドアの向こうで大人の人がいっぱい謝ってる。お母さんがいえいえ、子供同士だから、それによそ見もしていたんです。だからそんなに頭を下げないでください。お母さんも謝ってる。
大人同士、二人とも謝ってる。変なの。そう思って瞬きをしようとして、ずきりと目の奥が痛んだ。
「ああ、目が覚めたかい。よかった……。幸いなことに脳には検査で見つかる異常はなかったよ。しばらく不便をするだろうが……命に別状は無い、意識が戻ってよかったよ」
お医者さんがほっとしたように僕に話しかける。そして、外の大人たちに声をかけに行った。
しばらくお母さんとお父さんがわあわあと良かった、目が覚めた、と泣いていた。扉の横であの時の友達も泣きながら友達のお母さんにしがみついて僕を見ていた。みんながわあわあ泣くから、僕もちょっと痛くて泣こうかと思っていたのがひっこんだ。こんなにみんなが泣いてたら、まるで僕のお葬式みたいだって思ったし。
しばらくして、お医者さんがもう少し休ませてあげましょうと大人たちを外に追い出してくれた。ほっとして、眼帯をしている左目にそっと触ってみた。反対の目、眼帯をしていないほうの目も実はあんまり見えなくて、お父さんとお母さんの泣き顔もあんまりよく見えなかったのだ。なんだか変だな。でもちょっとかっこいいかな。そんなことを思いながら検査とかをされていたら。また眠ってしまってた。

起きたら兄ちゃんがいた。学生服を着たまんま、部活の鞄を横の棚に置いて僕の向こうの窓の外を見ていた。
「おはよう、飴恋。……喋れるか?」
まだうとうととしていたけれど、兄ちゃんの声を聞いたらなんだか嬉しくて頷いた。
「兄ちゃん、学校忙しくないの?まだ、いつもの時間より早いよ」
外はまだ明るい。兄ちゃんはいつも、日が暮れてから帰ってくるのに。
「……もう少しお前と遊んでやれば良かったな。寂しくさせてごめんな」
「なんで?兄ちゃんはお休みの日はいっぱい遊んでくれるし、帰ってからも一緒にアニメとか見てくれるよ?」
「……そうだな」そうやって呟く兄ちゃんは、ちょっと悲しそうだ。
「……飴恋。そろそろ教えてやってもいいかな。うちでは、父さんも母さんも知ってる」
なんだろう。とぱちくりと右目だけ瞬きして兄ちゃんを見た。
「俺の帰りが遅いの、学校に残ってるからじゃないんだ。……俺は、超能力者の組織で、ちょっとした仕事をしてるんだ」
今度こそ、右目が丸くなった。すごく真面目な顔をしているから、冗談でしょ?なんて言えない。
よいしょっと、と手のひらを少し丸めて上に向け何かを掴んでいるような空間を作る。なんだろう。とそのまま目で追うと、その空間にバキバキと氷の結晶が伸びて透明な彫像ができた。
「火を出したりもできるけど、火災報知器が鳴ったら大変だからな」
そっと渡してくれた氷の固まりは、近くに持ち上げてよく見ると僕の好きなカードゲームのドラゴンだった。つやつやとしていて、手のひらの上でちょっとだけ端っこが溶けていく。冷たい氷は、ポケットに入れておくマジックじゃできないと思う。
「本物?」
「そうだよ」
眼帯なんかより、ずっとかっこいい。兄ちゃんは秘密結社の一員で、氷の超能力者だったのだ。
「お前を護ってやれなくてごめんな。俺の力じゃ、飴恋の目を治すような方法はわからない。……ただ、俺の仕事してる組織……UGNって云うんだ、そこだったら普通にはありえない治療がいっぱいできる。父さんと母さんは俺が説得する。だから……お前の目が治ってほしい」
兄ちゃんは、ぎゅっと僕を抱きしめた。暖かい兄ちゃんの腕の中で、ドラゴンをぎゅっと握りしめた。

病院が移った。今度の病院はすごく大きくて、僕の入院する部屋はすごく上の階だ。エレベーターにはその階に行くボタンがなくて、スーツを着た人がカードを機械に当てて番号の無い階に連れて行ってくれた。
あまりよくは見えなかったけど、なんだか変な病院だと思った。前の病院と違って、隣の部屋の扉が引き戸で開いてたりしない。扉と扉の間に防災訓練のシャッターみたいな床の継ぎ目があって、なんだか怖いなと思った。
その病院でも、いっぱい検査をした。全然わからない検査をしながら、どうなっちゃうのかなと少し不安になった。もしかしたら、僕は仮面ライダーにでもなるんだろうか。
白衣のおじさんの一人が、検査の終わった僕に突然話しかけた。君は視力をほぼ失っている。左目は絶望的だが、右目はまだ神経に希望がある。このままにしておけば右目もやがて何も見えなくなるだろう。しかし、まだ研究途中だがなんとかできるかもしれない。
その白衣のおじさんは、内緒話をするかのように人目を気にしながら話していた。
「それって、見えるように治るってこと?」
おじさんは頷いた。そして、この話はまだ誰にも話してはいけないよ。そう言われた。まだ実験途中の研究だからね、と。

数日経った後、この間のおじさんと、何人か後ろにいる白衣の人が僕を部屋に連れて行った。いつもの検査室とは違う、手術室だ。
「傷跡は残らない。……傷は、自分で治るようになるからね」
口にマスクをすると、煙が出てきてすぐに寝てしまった。兄ちゃんもこういう感じで超能力者になったのかなあ。そういう夢を見た。
目が覚めると、手術室ではない部屋にいた。入院していた部屋じゃなくて、ひんやりとした検査室だ。
周囲を見回したら周りの機械やおじさん達の顔がよく見える。顔に手を当てると、左目に変なものが入っている。片目ずつ隠してみたら、右目だけよく見えるようになってるみたいだ。
左目はどうしても残せなかったから、医療用の義眼が入っている。日々のケアの仕方は今後教えていこう。その代わり、眼底から脳にアクセスして結晶体を埋め込むことに成功した。
単語の半分くらいはよくわからなかったけれど、とにかく成功したことはわかった。
とりあえず半分見えるなら、普通に学校に行けるかな。良かった。

少し自由に行動させてもらえるようになって、看護婦さんから義眼の手入れの説明を受けた。定期的に専用の液体で洗ったり、ちょっと面倒だけどここに入れておかないと顔が歪んだりするので頑張ってね。と言われたのでちゃんとやろう。鏡の前で手入れの練習をしていると、見えるようになった右目の黒目がぼんやり光っていることに気が付いた。首をかしげて鏡に顔を近づけてみると、まるでカバーのついたランプみたいに奥からぼんやりと蛍光っぽいみどりのような光が見えた。
その光は手入れの練習をするごとに日に日に明るくなっていった。不思議だな、と思ったけれどおじさんの言葉を思い出した。見えるならそんなに気にならないし、先生とかに大人が言っておいてくれたらいいな。そう思った。

兄ちゃんが見舞いに来た。お父さんとお母さんは病室のフロアまで入れないことになっているらしく、ちょっと寂しかったから嬉しかった。でも、兄ちゃんは僕の目を見て愕然とした顔をしていた。
「……っ、飴恋、何をされたんだ!」
肩を掴むような勢いで、兄ちゃんは僕の目を見た。びっくりして、手で開けようとしたジュースのプルタブに指をひっかける。
「何って……なんか、目を視えるようにするために、手術、したって言ってた」
困惑しながら、プルタブでひっかけた爪先にふーふーと息をかける。ちょっと痛かったけど、割れた爪がするすると元に戻る。最近はずっとこんな感じ。方向感覚が掴めなくて転んだりぶつけたりしたときの痣も、全然残らない。
兄ちゃんは血が流れていた指先を何事もなかったように拭いて無傷の指に戻る僕を見て唇を震わせていた。
「ごめん……、ごめん、俺は、取り返しのつかないことをした……」
兄ちゃんが泣きそうだったから、やめてよって頭を撫でてあげた。怪我した指の先に少しだけ鱗が浮いていて、こっちの手だとかゆいかも。逆の手のほうがよかったかな。そう思ってるうちに兄ちゃんは僕が座っている布団に顔を埋めてしまった。
「兄ちゃんまで泣かないでよ。兄ちゃんのおかげで、兄ちゃんのことがまたよく見えるんだから」
兄ちゃんはただ、布団をぐしゃぐしゃと掴んで何も言わなかった。

愛翔、17歳。

それは、取り返しのつかないことだった。
弟を救うために自分のできることはないか。そんな甘い考えで俺はUGNに飴恋を託した。
UGNの医療に何度も自分や被害に遭った人達が助けられたから、そうやって上手くいくだろう。そう信じていた。
再会した弟は、オーヴァードとして覚醒していた。人ならざる瞳の光、自己修復し、鱗を湛える手。同種だからわかる、漂わせるレネゲイドの気配。弟は人間ではなくなった。
一生償えない罪だと思った。しかし、飴恋を置いて自分を罰することすらできなかった。弟は、俺を信じ純粋な願いで視力を取り返したいと思ってしまったから。
ただ一つできるのは、彼をUGNの庇護と今までの日常、どちらからも大切に護られる暮らしを整えることだ。父さんと母さんには、複雑な事情を伏せて俺と同じように大きなことでのショックで目覚めたのだと伝えた。彼を施術したという医師のことを調べつくし、接触をすることに成功した。何故実験体に何も知らぬ一般人を使った。そう追及し、UGNの管理者に明かすために。
医師の面会は叶った。しかし……それは、息絶えた死体であったが。
傍には研究員たちに拘束される小型竜。口輪をされ、事態もわからずばさり、ばさりと翼を動かしては体を縫い留めるバンドに阻まれる。
小型竜は、右目から広がる結晶が全身に生えていた。胴に、翼に、喉に突き出る結晶はエメラルドのような蛍光色に光り……飴恋の瞳に湛えられていた光と同じ色をしていた。
医師の死体は焼け焦げていた。近くでは緑の結晶がメタンハイドレートの映像のように炎を揺らめかせる。死体の手に近いほど焦げは強く、タンパク質の燃えるにおいに吐き気がした。
小さな竜は自分のしたこともわからないまま暴れる。暴れるたびに瞳からぼろぼろと涙を落とし、そのまま結晶になって火を巻き起こす。そして、自身の黒い翼を焼いていく。
「……すみません。手伝います」
混乱する研究員たちの前に立ち、手を翳して冷気を生み出す。空中が急激に冷え、燃焼が可能な温度よりはるかに低いところまで分子の活動を抑える。
部屋をある程度鎮火させると、竜に向き直る。頬にそっと手を添え、ゆっくりと冷やしていく。
「……飴恋だよな」
竜は吐息で音を作る。人の言葉を話せる舌ですらないのかもしれない。だがそれは肯定であった。
「大丈夫。……今、兄ちゃんが助けてやるから」
静かに鱗から体を冷やしていく。次第に結晶は鎮火し、冬眠でもするかのように竜はぐったりと身を預けた。
事態を落ち着けた後、周囲の結晶と惨事となった部屋を一瞥した。それは、目覚めたばかりのオーヴァードにしてはあまりにも身に余る、強大すぎる力だった。

深い心的外傷とならないように、飴恋には長いカウンセリングを要した。不幸中の幸いか、これ以上の入院生活は社会復帰の妨げとなるということで自宅への退院を許可された。その身分をUGNに預けることを条件に。
彼の胸には識別記号が押された。バーコードのような模様が刻まれ、チルドレンという首輪をつけられたことを理解した。幼い彼も、定期的なカウンセリングと識別記号によって状況を把握していった。今までと打って変わって、優等生として忠実にUGNの為になろうと努力していることは誰が見ても明らかだった。
毎日UGNへ能力の制御訓練に通った。幸いにして彼が大怪我をしたことは学校中の周知のもととなっているため、長期の休みを取っていることに誰も疑問を持たなかった。
何度か制御訓練に付き合ったが、数日した辺りで訓練教官から来ないようにと言われた。自分の視線があることは、コントロールができなかったトラウマを想起させると。
言っていることはごもっともだ。そう理解しつつ、どこかやるせない気持ちのままあの医師の研究記録を毎日読み漁っていた。厳重なプロテクトがかかっていたが、長い時間をかけて解除をした。
弟の体に埋め込まれた偽の賢者の石。人造の奇跡。莫大な力の可能性。
家に帰り、次第に無邪気さを取り戻す弟と、それを庇護するために変わらぬ日常を敢えて続ける両親に自分は小さな鬱憤が芽吹いていた。誰のせいでこうなったか、そして人間を辞め、それどころか自分のようなただのオーヴァードよりも何倍も過酷で、膨大な力を得た弟が。
弟は変わらない笑顔で魚に餌をやる。父親の趣味で育てているメダカは、小魚らしく日に日に死に続けては増えていく。
飴恋はもう水槽の小魚でいられない。どうしようもない、何もかも呑み込む大魚になってしまった。
庭で水槽の水を替えながら、バケツに除けられたメダカたちを眺めた。
飴恋が気まぐれに大口を開ければ容易くすべてを餌にできるだろう。飴恋が望まざるとも。
水面を眺めることに耐え切れず、気が付いたらバケツをひっくり返していた。庭石の上で跳ねる魚は、すぐに息絶え始める。
「うわ!兄ちゃん、どうしたの!」
飴恋が水音に気づいて慌てて駆け寄ってきた。小さな指でせっせと酸欠のメダカを拾って水に投げ込む。そんなことをしても無駄だと思ったところで、この八つ当たりも無駄な行為ということにも気づいた。
「手元が滑ったんだ。疲れてるのかな」
弟の右目は相変わらず光を湛えている。左目は義眼が目立つのを気にして簡易的な眼帯をしている。俺を見るために得た光が、チェレンコフ光の逸話のようにじりじりと俺の思考を焼く。
緑の閃光が脳を焼くなら、同じ瞳で見れば、焼き付くこともないのでは?
その考えは、日増しに染みを広げていく。

そして、俺はあの研究室の扉を叩いた。