「プロセラルム可能態」8 R18

Ⅷ ハイネ・ノーシュ

ヨハネ達……もう一つのメイジューンは、世界樹の頂に辿り着いた。そして、帰ってこなかった。正確には、ヨハネだけが。
瘴気に飛び込んだのだと、仲間たちは話していた。ヨハネの瘴気の様子がおかしかった。僕の兄は、竜の瘴気をその身に深く吸い込んだまま姿を消したのだ。
僕らは二人でひとつ。片割れの喪失に対し、僕は酷く冷静だった。樹海から戻らないということは、即ちその生の終焉だというのに。僕は奇妙な確信があった。ヨハネは、まだ終わりではない。

目が覚めたとき、傍らでスプートニクが何かを叫んでいた気がする。暖かな液体を身体に注がれたような、内側から湧き上がる体温が指先まで巡る感触がした。スプートニクに、何を言おうとしたのだろう。言葉を紡ごうとしたのに、上手く喉が動かなかった。何かを言おうと思った矢先に、僕はスプートニクの大きな腕で強く抱きすくめられていた。
スプートニクの蒼い瞳が好きだった。こんな青い星があるのだと、いつも天体観測機を覗くスプートニクは話してくれた。でも、今のスプートニクの瞳は真っ黒で輝きも、深い奥に瞬く光の粒も無い。スプートニクの髪が好きだった。紅梅色の髪は、黄昏の彩雲の色と同じなのだと気がついたとき僕は宝物を見つけたような気持ちになった。彼のセリアンの耳だけが黒いことを僕はいつも不思議に思っていた。触れないで欲しいと口を指で塞がれる度、僕らの間に秘密の壁があることが胸に鉛を落としていた。だって僕らは一心同体なのだ。親友よりも、家族よりも深い、信頼の絆で結ばれているはずなのだから。
今は、彼の髪は毛先まで漆黒に染まっていた。三角の耳と同じ、黒い獣の色。そういえば、彼の尾も以前から黒かったのかもしれない。淡い彩雲の色だった頃には感じなかった威圧感が、彼の漆黒の髪から感じていた。
何故、とは浮かばなかった。いや、本能で知っていたからかもしれない。僕の心の魂が、この色をよく知っていた。そう、これは黒犬の……
大きな犬歯が、僕の首筋に齧り付いた。ぷつり、と肌が切れ紅い血の玉が白い肌に光る。長い舌で血を啜り舐め取るスプートニクは、もう僕の声は聞こえていなかった。汚れた服を乱暴に剥ぎ取った彼は、僕の肌に何度も歯を立てた。歯を立て、痛みが何度も走る度に僕の喉からは言葉が失われていく。苦悶の叫びは、痛みの麻酔で意味を持たない喘ぎに変わっていく。
理性より、もっと深い部分で声が反響していた。逆らってはいけない、逆らえない。何故なら僕は兎で、彼は犬なのだから。僕は肉なのだから。
口の端から伝う涎もそのままに、黒犬は僕の身体を味わっていった。僕の身体を熱い肉槍が貫いた瞬間、覆いかぶさる彼の背の向こうに一人の女性の姿が見えた気がした。
「……ヨハネの魂、とっても美味しいわ。一口齧っただけで、蕩けそうに熱い。あなたの魂が汚れちゃったのは残念だけど、その代わりこんなご馳走を食べられるなんて」
黒く長い髪を宙に漂わせて、女学生の服を着た女は笑った。悦楽の表情を浮かべ、半透明の彼女はスプートニクの身体に溶けるように同化して消えた。
何か言おうにも言葉が紡げない。スプートニクに身体を揺さぶられる度に意味のない喘ぎが酸素を求めて吐き出されていた。覆いかぶさる黒犬の汗が何滴も肌に染みる度、汚されているという被虐の感情が胸に麻薬を注ぐ。
黒犬が一際大きく動き、胎内の最奥まで突き刺すように身体を密着させた。射精だと理解した頃には、震えて熱い欲望が内側から蹂躙するように浴びせかけられていた。しかし、それで終わりではなかった。
黒犬の男根は文字通り人のものではなかった。射精を終えてなお堅く膨らみ、根本の瘤はたった一度の射精のみで抜け落ちることを許さなかった。間欠泉のように射精は続き、断続的に熱い飛沫が胎内を犯し続けていた。その間にも激しく狭い周期で腰を打ち付け続けられ、目の前がチカチカと星が舞う。
「……っ、う、あ」
怖い、抜いて、そんな叫びも言葉にならない。熱い精液が身体に染み込めば染み込むほど、身体の熱は強く浮かされ理性が暴力的なまでに殴られていく。身体の最奥の子宮口を抉じ開けるように何度も陵辱され、支配される欲望に抵抗はもはや無力だった。断続的に続く射精は次第に腹が膨らむほどに精液を満たし、妊婦のように下腹部に歪んだ曲線を形作っていた。
知識の薄い自分にでも、この状態は限りなく妊娠に近いのだと理解できていた。狭かった膣内は精液で満たされ今もなお供給を続けながら擦り込まれ続けていく。だらしなく開いた口からの喘ぎとともに、子宮の奥から受け入れるための涎が分泌されているのも身体で感じていた。
黒犬に、喰らわれている。精神も、肉体も染められ、ただの肉の塊として身を捧げている。何度か上り詰めたように意識が飛び、その度に強い収縮運動により黒犬は悦びの精を吐く。この部屋には獣しかいない。喰らう獣と、喰らわれる獣だけだ。
「汚れてしまえば、もうそれ以上汚れない。魂がからっぽなら、もう怖いものなんてないでしょう?」
あの女性の笑い声が響いていた。その言葉を理解する知能はもう僕らには無かった。身体が裂けるほど強く打ち付けられ、喉の奥から咆哮が溢れる。助けを乞う人はもういない。魂の引き裂かれるままに、黒犬の限界を受け止めた僕は焦点の合わない視界の中意識を手放した。

肌の冷たさで目が覚めた。冷えた汗と、足の間から流れ落ちる獣の欲望が、朧気に記憶を形作る。
「スプートニク 僕を抱いたの?」
「……そうです」
傍らの男は元の桃色の髪に戻っていた。瞳は苦慮の光を湛えながらも青く光り、それが黒犬ではなくスプートニクなのだと示していた。
「パトリックに連れて行かれて、それから今までのことが全部ぼんやりとしか覚えていないんだ。パトリックに壊されて、その後僕がどうなったのか。いつの間にか、傷も治っていることも……僕には、分からない」
唇を噛むスプートニクは、黙って僕の話を聞いていた。スプートニクも、汗と体液で汚れている。髪は乱雑に崩れ、目の下には隈が薄く出来ていた。
「……僕にスプートニクが今までしていたこと、本当は恋人同士でしかしないことだったみたいだね。……スプートニクは、知っていたんだよね」
肯定の沈黙は、痛いほどの後悔の色をしていた。
「スプートニクはこれからも今までも僕の犬だ。僕は、家族みたいに……自分自身みたいに、スプートニクが大好きだった。……でも、恋人じゃないよね」
太腿を流れ落ちる白濁が、痛いほど僕らの関係の破綻を示していた。僕らは一心同体だ。一心同体だったはずだった。破られた信頼が、音もなく皺だらけのシーツを汚していた。

事件以降、宿を引き払い姿を消したと思っていたパトリックは、しかし予想を裏切ってアイオリスの街にまだ滞在していた。街はずれ、冒険者のための訓練場。そこに一人で彼は佇んでいた。
「パトリック」
声をかけると、緩慢な動作で振り返った。手に握る銃口からはまだ真新しい白煙が立ち上っている。
「どうした、嬢ちゃん。……俺なんかと話したら、また犯されるぞ」
唇を歪めて笑うパトリックは裏腹にちっとも楽しそうな顔ではなかった。パトリックは知っているのだろうか。僕を犯し樹海の真ん中に放置した後の顛末を。自らの復讐の結果を。……果たしてしまった復讐は、彼にとってどんな味だったのだろうか。パーティのあとの乱雑に散らかった部屋を眺めるように、虚ろな酔いの覚めた吐き気と共に僕を眺めるパトリックは訝しげに眉を寄せた。
「……ヨハネが、帰ってこないんだ。僕の兄は、世界樹の頂から戻れない」
一歩、また一歩と噛み締めるように歩みをパトリックへと進める。距離を詰めるごとに、訝しむようなパトリックの表情が次第に興味へと変わっていく。
「パトリック、僕に竜騎士のすべを教えて」
その瞳を覗き込むように顔を寄せ、囁くようにしかしはっきりと決意を告げた。それは、僕の人生を捨て去る決意。そして、自分を壊したものに首を捧げるという選択だった。
「……お前の犬が怒るぞ」
パトリックは、薄く瞼を開き僕を見下ろした。炎のような橙色の瞳は、薄い光沢をもって視線で僕を計る。僕の考えが読めない、そのことが今までに彼の中に無い不快感と興味を芽吹かせている。
スプートニクのことを口に出したのも、僕の思考を推し図るためなのだろう。自分のことは隠せても、一心同体の片割れのことは隠せない。……僕らが、今まで通りの関係であったならば。
「いいんです。……もう、スプートニクは僕とは道を違ったんだ。まるで心のなかが誰かに食べ尽くされて空っぽになったみたいに、いろんな感情がなくなってしまった。今心のなかにあるのは、強くなりたいという心だけ」
あれから……スプートニクに喰らわれてから、感情というものが失われたように思えた。喜びも、悲しみも、どこか遠い世界のことのようだった。虚ろな心のままただ一つ、求めることがあるとすれば、それは力への渇望だった。
自分を犯した大人の男。自分を殺した獣。それに敵わない自分の細腕が憎かった。いや、女の力の無さは理由とならなかった。真に弱かったのは、自分自身だ。大人を信じ切っていた自分が、この心の傷を膿ませたのだ。
力が、欲しい。人を踏み台にして、一人で立てる泥に塗れた強さが。もう清廉潔白な騎士ではいられない。かつて自分を食い物にしようとして死んだ兵士の怨念から解放されるには、その轍から抜け出なければならない。そして、もっと強い力へ……この力への渇望がたとえ憎しみだったとしても……尾を振り、立ち上がるための支えにするのだ。
「……僕の求める強さ、その一番近くにあるのは、パトリック。あなただ」
腰の剣をゆっくりと引き抜いた。白金の剣が陽光に煌めく。あの凌辱のさなか、一度も抜かれなかった僕の誇りだったものに己の足を乗せ、体重をかけ一気に折った。
パトリックの目が見開かれる。小さく息を呑む音と共に剣の破片が小さな金属音を立てて石造りの床に落ちる。
「あなたの見るものを僕にも見せて」
折られた剣は手のひらから滑り落ち、さっきまで剣を握りしめていた掌がパトリックの襟を強く掴んでいた。

宿を引き払ったパトリックが住んでいたのは、小さな煉瓦造りの住居だった。赤い屋根に、かつてはガーデニングされていたであろう枯れ果てた植物たち。童話にでも出てきそうな小ぶりで少女趣味の家は、一見成人男性が一人で住むにはあまりにも不釣り合いに見えた。家の中は、時が止まったかのように小さな家具と食器が生活のそのままに埃をかぶり、代わりにアースラン用の大きな生活道具が横に置かれ日々使われているようだった。
パトリックに師事した僕は、そのままこの住居に居候を始めた。使うようにと言われたベッドは膝を曲げなければ寝られないような小ささで、朧げに前の住人の正体を理解した。
時が止まったこの家で、ツメクサが寝起きする子供部屋だけは刻々と日々新たな命の息遣いを拍動させていた。ツメクサの持ち込んだ植物や、小動物や、絵本。それらが日々在処を変え、育ち、時間を流していく。
パトリックの元妻の生活していたこの家で、僕はツメクサと遊び、そして毎日修練場に赴き銃の指南を受けた。そんな暮らしをどれだけ続けただろう。ある日、僕はパトリックに呼び止められた。
「どういう考えなんだ。」
壁に縫い留められるように、腕の中に閉じ込められる。長いパトリックのコートが包み隠し、影の中で橙の瞳だけが光る。紅の髪が一房顔に落ち、色素の薄い唇が耳元まで寄せられた。
「……また、お前を壊してもいいんだぜ」
喉の奥から響く囁きは、挑戦でもあり警告でもあった。今ならまだ、戻れる。そして、自分の感情をこれ以上搔き乱すな。その危険信号を、僕は求め続けていた。
「もう壊れません。……壊れるものはもうありませんから」
踵を上げ、唇を塞いだのは僕のほうからだった。縋り付くように頬を掴み、誰にも許したことの無い、そう、処女を失ってもなお男を知らなかった唇を彼の唇に合わせた。
僕らはまるでずっと求めていたかのように舌で唇を割り呼吸を交換する。荒い息遣いは壁と腕に閉じ込められた二人を染め上げ、体温を均衡へと導く。
「……いい目だ」
そう呟いたパトリックの瞳には、昏い熱の色が灯っていた。

今日は訓練の無い日だった。気まぐれに与えられる休暇では、僕はあの小さな家を整えることに注力していた。前の住人……元妻の痕跡を消し去る気にはなれなかったが、そのまま埃に塗れていくのは流石に気が重い。パトリック自身はあの家が荒れ果てるままとなることを良しとしているところはあるが、ツメクサというまだ幼い子供が育つ場としてもあまりいい環境ではないと思った。
市場で食料品やちょっとした消耗品を補給し、両手に荷物を抱えたところでよく見知った青緑のコートが翻るのが視界に入った。
パトリックが、街の外れのほうに行くなんて珍しい。あちらには、冒険者向けの設備は何も無かったはずだ。それこそ、街を見下ろせる小高い崖くらいだ。
心の端に引っかかるものを感じ、そっとパトリックの後を追った。自分の師……と言ってはいいのかわからないが、彼の動向から本心が少しでも透けるなら興味が無いというのは嘘になる。
木々の隙間を抜け、パトリックは丘を登っていく。この先は崖しか無い。街を見下ろす高台で、パトリックは足を止めた。何かを眺めるように、ただ立ち尽くしていた。
そっと、パトリックの視界に入らないように崖の下の景色に目をやった。人だかりと、歓声。下には小さな料理屋とテラスがあり、そこで何か催されているようだった。目を凝らすと、輪の中心は二人のブラニーのようだった。白い華やかなドレスの金髪のブラニー。そして、同じく白いタキシードに身を包んだブラニー。世間に疎い自分にも判った。あれは……結婚式だ。
「ツメクサの母親だよ」
突然パトリックが口を開いた。僕の稚拙な尾行は完全に見抜かれていたらしい。視線を崖下に向けたまま、パトリックは静かに華やかな宴を眺めていた。
「じゃあ、パトリックの……」
「今日からもう他人の嫁だ」
ツメクサをパトリックが溺愛しているのはよく見ていた。当然、彼女にも母親は存在する。残された家財道具から、その母親がブラニーであることも感じていた。しかし、母親という言葉と眼下の結婚式の風景とが結びつかない。
「……指輪、どうしていつも外さないのかなって思ってた。まだ、好きなの」
「……愛したことはないよ」
「じゃあ、なんで……」
「ツメクサの母親だった事実は離婚しても消えない」
遠くを見つめる瞳は、空を透かして我が娘を見つめる温度のある瞳だった。慈しみともいえるこんな目は、ツメクサにしか向けるのを見たことはなかった。
胸の奥がじりじりと痛む。ハイネに向ける視線は、いままでどんな目だったろうか。この男に愛情の欠片というものがあるのなら、その破片でも、向けられたことがあっただろうか。
「ツメクサちゃんが、本当に大事なんですね」
「ツメクサは、これからもこれまでも、ただ一人の俺の子だから」
「……僕は、駄目なのかな」
パトリックの指輪が瞬いた。左手の薬指を縛る銀の輪は、誰の侵入も許さない砦のように鍵をかけて拒絶しているようにも思えた。
「……風が強くなってきたな」
凪いだ丘の上で、パトリックは一度も目を合わせずにかつての伴侶の門出をただ見つめていた。

「おかえりはいねしゃん!さっきまでつめくさ、わんわんさんといっしょにこっことあそんでたの!」
三人の住居に戻ると、ツメクサが真っ直ぐに駆け寄ってきた。ツメクサはすぐに懐いた。もともとメイジューンがギルドとして成立していた頃から、彼女はとても人懐っこく様々な人に遊びをせがんでいた。もしかしたら、母のない彼女なりの幼い処世術なのかもしれない。ツメクサの言う犬……スプートニクの言葉に、胸に針を刺されたような痛みが走った。スプートニクを置いて、僕はこんな暮らしをしている。元気でいるようだということは何よりだが、ホーニヒを失ったボイセンと二人、失った者同士いったいどうしているのだろうか。
「はいねしゃんもあそぼ!」
「ごめん、ちょっと今は気分が」
罪悪感がじりじりと胸を焼く。パトリックと共に過ごす暮らしは、唯一空虚な心が埋まるような感触がした。パトリックへの憎しみは消えない。憎しみからくる燃え上がるような欲求が、このままごとのような暮らしを肯定していた。
「えーあそぼーよー、あーそーぼー!」
ツメクサが脚にしがみつき揺さぶる。この子は何も知らない。自らの父が、あの優しく愛情を注いでくれる父が、忌むべき犯罪者だということに。幾多の人生を弄び、かき乱すことに悦楽を覚える畜生だということに。
「嫌だって言ってるでしょ!」
叫んだ言葉は思いの外強かった。呆然と口を開く幼女は、ふるふると震え出しやがて堰を切ったように泣き始めた。言葉の意味なんてわかってはいないだろう。ただ、感情だけがぶつけられるその衝撃に怯えていた。謝ろうと手を差し伸べると、その手をすり抜けて自身の子供部屋へ走り去っていった。
「あんな小さな子に当たるなんて、最低だ……」
玩具のようなこの家は、自分の居場所でない。ありありとそれを突きつけられたような気がして、僕は小さく息を吸い込んだ。

「プロセラルム可能態」7 R18 「プロセラルム可能態」9 R18