「プロセラルム可能態」11 R18

Ⅺ スプートニク・ユーリィ

病室のヨハネは、適切な応急処置のお陰でもうじきに退院できるだろう。パトリックとの間にあった出来事。俄には信じたくは無いが……しかし、ヨハネの身体に空いた弾痕と、なによりハイネが私の元に戻ってきたということ。その事実が現実として私を説得した。
「スプートニク。ハイネは……」
目が覚めたヨハネの第一声は、妹を案ずる言葉だった。ハイネの安否の代わりにパトリックが収監されたこと、そして余罪が多量にあり刑期が長くなりそうなことを伝えると、ヨハネは長く息を吐いて白い天井を見上げた。
ハイネは、パトリックの住居から戻ってきた。しかし、彼女は今別の病室で……眠り続けていた。
「……ハイネに魂が入っていないこと、ヨハネは知っていますか」
魂を失ってから、ハイネは日に日に眠る時間が長くなっていったとパトリックから聞いた。精神と肉体の摩耗するままに、ハイネは眠りの国に落ち、そして、遂に戻らなくなった。
「……魂がなければ、次の世界にも行けない。僕だけ、次の世界に行くわけにはいかない……一体、どうして」
震える声でヨハネは呟く。身を呈して、妹の魂を引き受けたはずなのに。その紅い瞳がふるふると震え怯えているのが手に取るように感じて胸が痛む。
「……ハイネの魂は私が喰らいました。いや、私の中の……クドリャフカ、黒犬が」
……告げなくてはならないと感じた。事実として、出来る限り淡々と。
「っ!スプートニク……貴様っ!……ハイネを、守ってくれると思っていたのに!だって、お前は、ハイネのことを」
「……愛して、しまいました。そう、ハイネを愛してしまった。……クドリャフカは月も喰らった。あなた達の還るところは、もう無いのですよ」
時計の秒針の音がいやに響く。死刑宣告をするというのはこういう気持ちなのだろうか。ヨハネが言葉を失い唇に血が滲むのがクリアな映像で目に映る。やはり私は獣なのだろう。……こういったときに、最後まで……止めを刺さなければと思ってしまうから。
「星喰にクドリャフカは支配されている。星喰を倒さない限り、クドリャフカからハイネの魂は解放されない」
「スプートニクッ…!!」
ベッドから掴みかかろうとするヨハネを逆に受け止め、そのまま細い首に手をかける。断首痕を……私が処刑した彼の首の傷を、なぞるように腕をかけ、強く力を込めた。
「だからヨハネ。……あなたも、月喰の糧になってください」
小さな唇が、何かを呟いて、そして、消えた。
長い黒髪が漣のように揺らぎ、広がる。もはやクドリャフカは幻影ではなくその実体をもって地に足を下ろしていた。強い熱源のように陽炎が揺らめき、周りの空気を歪めている。笑い声は反響し、無酸素の宇宙空間に高らかに響きわたる。
「ふふ、ふふふふ、あはははは!力が漲るわ!これが兎の魂!なんて熱くてなんて純粋でなんて甘美なの!ねえスプートニク!これで私を愛してくれる?」
目を見開き、歪んだ美貌でうっとりと力の奔流に身を任せるクドリャフカは、もはやこの地上の生き物ではない。星を喰らう、暴食の獣。
「ああ。……あなたのその力なら、星喰を……超えられますよ。そうでしょう、アルコン」
アルコンと呼ばれた少女……ここまで、この世界樹の果ての空間まで導いてきた人外の少女は、俄に信じ難いといった目で私達のやり取りを凝視していた。それもそうだろう。故郷の船団を滅ぼされ、願いをかけた私がハイネとヨハネの故郷を滅ぼした黒犬と手を組んでいるのだから。
「そう、なのだろうな……。お前たちなら、出来るかもしれない。……しかし、これで良かったのだろうか」
封印を解き放ったことも、そして黒竜を御したヨハネの魂までも喰らったことも、アルコンには口出しをさせなかった。願いを叶えたくば、そう呟いて。恐らく罪悪感と不安が入り混じっているアルコンを背に、私は扉に手をかけた。
「……その扉の先に、あいつが……星喰がいる」
「はい。クドリャフカ、判っていますね」
「ええ。私は一人で、私はすべて。私とスプートニクなら、この宇宙だってひと呑みよ」
うっとりと謳うようなクドリャフカの声を聞き、虚空へ一歩足を踏み入れた。

星の胎児の泡立つ細胞が飛び散った。クドリャフカが……もはや一人ではない、すべてと化したクドリャフカが刹那の瞬間に何度もその力で生体パーツを暴殴し、その一瞬の隙を幾多の血を吸い上げた刀が切り刻む。三途の川は何度も見た。その度にクドリャフカの一人が麻薬のような物質を撒き強制的に蘇生させられる。
あの凶悪なエネルギーの奔流も、クドリャフカの一人が放ったイージスの盾でいともたやすく無力化された。クドリャフカには、星喰の行動が手に取るように判っていた。次があるかはわからない。だが、そんな悠長な時間など元より私達には必要ない。
生体パーツが蘇る度に、いや、蘇るよりも早く、刃がその膨張した肉を削ぎ落とす。切り落とした断面から溢れ出た液を浴び、女学生の制服を重油の虹色に染めたクドリャフカの瞳が爛々と輝く。彼女だけではない。私も自身の血と廃液に汚れ、切れ味が落ちないようにと拭い去った刀の黒鋼の輝きだけがその身を表していた。
私も、彼女も、獣だ。月喰の獣と、黒犬の獣。魂を喰らう化物は、宇宙の癌すらも喰らい尽くす。
幾度、その太刀を振るったのだろうか。星喰が……遂にその身を崩し、形を保てなくなって……宇宙の、塵と化した。
「これ、は…」
「あ、ははは、ははっ!スプートニク!もうエネルギーの反応がないわ……!星喰が消えたのよ!ねえ、スプートニク!これで私を愛してくれるわよね!」
勝利の実感に、急に膝から力が抜け今までの負傷の痛みが押し寄せてくる。……でも、まだだ。まだ、私は倒れるわけにはいかない。何故なら。
「…………なに、身体が、身体がおかしいわ。せっかく兎の魂を食べたのに、ねえスプートニク。あなた……何を、知ってるの……?」
「……お前の身体は星喰に侵されていた。星喰の細胞から生まれたお前は、同化して、繋がっていた。星喰を倒したのだから、崩壊するのも道理でしょう」
一人に集ったクドリャフカの肉体が、泡立ち、砂の楼閣のように崩れ始める。長い黒髪を振り乱し、その肉体を繋ぎ止めようと必死の形相でクドリャフカが絶叫する。
「だ、騙したわね!!」
「……眠っていてもらいますよ、クドリャフカ。私の中で、永遠に。そして返して貰います。……ハイネとヨハネを」
崩壊しかかるクドリャフカの頸動脈に噛みつき、私はクドリャフカを……自らに巣食った黒犬を再び、喰らった。

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