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アポロの治療は日に日に熱を帯びていた。身体に触れる手は執拗で、髪を撫でる手つきすら愛撫の意味を持って毛先一本一本を味わうようだった。
もう、治療の意味などないんじゃないか。オルドリンはそう考えていた。身体の裂傷はとうに治っている。彼の薬草に配合されている成分も今は保護材のようなものばかりという話をしていた。それでも、どちらとももう止めようと言い出せなかった。
情事のようなこの『治療』。性的虐待だと訴えるのは簡単だったし、そこまでしなくても一度手を振り払えばもう二度と手は出さないだろという確信がオルドリンの中にあった。しかし、それを止めないのはどこかで期待があったからだった。
治療の最中、アポロがそのスラックスの股間を膨らませているのをオルドリンは知っていた。欲望をその身の中に必死に堪えている姿は次第にいとおしくすら思えてきていた。いつか彼は私を犯すだろう、その諦めにも似た予想はオルドリンに仄かな楽しみを抱かせていた。
彼は自分のことを蛙のようだと自嘲する。そのたびにオルドリンは遙か昔に親から聞いた童話のことを思い出す。
『お姫様と口づけをした蛙は、素敵な王子様に戻ることができました』
異種族婚姻譚の一つであったのだろうけれど、幼少期は不気味な話としか思えなかった。わざわざ蛙なんかと恋に落ちなくともお姫様にはもっと釣り合う騎士たちがきっといただろうと思っていた。
でも、今は違う。お姫様には釣り合う騎士などいなかったのだ。何故なら、お姫様の心は蛙のように醜かったからだ。鉄のハインリヒという立派な騎士が出てきたはずなのに、彼は蛙の王子のことばかりを案じていた。蛙の姿の王子と蛙の心のお姫様。二人は最初から似合いの番だったのだ。
だから、オルドリンは待っていた。醜い心の自分に口付けする蛙を待っていた。
「アポロ」
治療の残渣をふき取り、道具を片づけるアポロの背にオルドリンは声をかけた。
「……私に、少女でいてほしいなら無駄よ。私はもうとっくにあの子に壊されているわ」
アポロの心臓が跳ねた。ここ暫く居座っていた考えを見透かされたようだった。
オルドリンは男を知らないと聞いた。勿論、負傷により処女ではないが、男の欲望を受け入れたことがないという点では乙女に間違いなかった。いや、そう信じて言い聞かせていたかったというべきか。
愛するオルドリンに釣り合わないのなら、せめて自分のものとして綺麗なまま愛でていたかった。誰にも触れさせない、自分だけの砂糖菓子。解けてしまわぬよう、目隠しをしていたかった。
「でも君は男を知らないのだろう。気に病まなくていい。君は綺麗だよ、オルドリン」
失望したような表情でオルドリンは溜息を吐く。長い睫毛を瞬いて寂しそうな笑みを浮かべた。
「私は少女だったから失敗したのよ。……あなたの表情はわからない。だから、甘い言葉じゃなくて気持ちはちゃんと言ってほしいわ」
オルドリンはアポロの腕を引き、目前に顔を近づける。こんなに近くにいても、オルドリンにはアポロの表情がわからないのだ。愛しさと、釣り合わない苦しさとで心臓を挽き潰されるようなこの心も。甘い言葉で必死に奮い立たせる愚かな姿も。
「君はそんなことしなくていい。君はこんな汚れたものは見なくていいんだ。だって僕のものなんだから……」
アポロの言葉はそこで途切れた。唇に当たる濡れた柔らかな感触。目前、考え得うるもっとも近いところに金の瞳が薄く開かれアポロの瞳を見つめている。
時間としては数秒だった。しかし、永遠にも近い時間が流れたような気がした。
オルドリンから口づけされているという事実を認識し、そして……そして、アポロは身体を引きはがし、逃げるように扉の向こうへ走り去っていった。
どうしてあのとき、あんなことをしたのだろうか。
氷砂糖のように煌めく水晶に囲まれた樹の峰のなか、オルドリンは自嘲する。
あのとき逃げ去ったアポロは、今日は別のギルドのサポートに出る日のようだった。それが、オルドリンと顔を合わせずにすむ方便としてなのか、本当に事前に予定が入っていたのかそれは定かではない。
どうして口付けをしたか、それはとても単純なことだった。オルドリンのことを清らかだと、綺麗だと、まるで宝石を自慢するかのように語るアポロに一矢報いたかった。オルドリンだって、一人の人間なのだと証明したかったのだ。
オルドリンは人形ではない。恋心も抱くし、性欲だってある。アポロを求める気持ちが日に日に育っていくのを自分でも感じていた。しかし、アポロの甘言はオルドリンの慕情も否定するようなことだった。
「永遠に綺麗でいることなんて、無理よ」
大きな水晶の固まりに鎚を振るいながら、オルドリンは呟いた。竜水晶に顔が何十にも反射しすべてオルドリンを見つめる。映った自分の顔が何を考えているのか自分でもわからないことに苛立っていた。
「そうだね、オルドリン」
気がつくと、横にヨハネが立っていた。男とは言え、ドレスに身を包みこういう力仕事はあまり好まないはずのヨハネも鎚を手にしていることに少し驚く。
「……ヨハネは、永遠に綺麗な身体でいたいとずっと言っているわね。ごめんなさい。わたしには無理だわ」
ヨハネは口癖のように綺麗でいたいと言っていた。泥に汚れたくないとかそういう物理的なものではなく、もっと精神的なものを尊んでいる発言だとは感じている。だから、ヨハネもアポロのようにオルドリンのことを否定すると思っていた。
「無理ではないさ」
しかし、返ってきたのは肯定だった。
「僕はね、ずっと母に犯されていた。僕と妹の血縁上の父を求めて、母は僕の心を壊し続けていた。抵抗することもできたのにしなかったのは、自分の意志が……死んでしまったからだ。意志が死んだら、人はあまりにも脆い。それに、妹を守りたかった」
ヨハネは半分がセリアンだったと聞いていた。セリアンの特徴の長い耳と、アースランの特徴の丸い耳を併せ持つ彼の苦労は相当だったろうとはいつも思っていた。しかし、彼の語り始めたことはそれを上回る過酷なものであった。
「それでも、今の僕があるのは母が死んだからだ。血のつながらない名目上の父は、僕と妹を殺して呪いを絶とうとしたんだ。妹が殺されかけて、初めて意志が生き返った。父の手斧が母と僕らの耳を絶ち、僕らは自由を手にした。だから、僕らは永遠に意志がある限り美しいままだ」
長い耳が揺れる。包帯に巻かれた片耳は、手斧で断たれたものであるのだろうか。
「君にはもう意志があるだろう? ……綺麗でいられなくても、美しく生きることはできる。君のしたいことはなんだい」
オルドリンは無言で手のひらの竜水晶を見つめていた。淡く発光するかのような水晶の中の自分が静かにこちらを見つめている。
「……迷惑をかけるかもしれないわね。ごめんなさい、ヨハネ」
一呼吸のち、オルドリンは鎚を大きく水晶へ振るった。
オルドリンがいない。
まずそう叫んだのはディエゴだった。
気まずさを全面に押し出したアポロを見かねたディエゴがオルドリンの食事を運びに向かっていたところだった。ディエゴが見たものは空っぽの倉だった。ニールとコリンズも連れ出され、扉には鍵がかかっていない。真っ青な顔をしてノアやヨハネに説明をするディエゴを愕然と見ながら、アポロは目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。
「アポロ、何か知らないのか!なあ、いつも一緒にいるのはおまえだろ!」
ディエゴに両肩を揺さぶられるがままになるのを静止したのはノアだった。ノアは動転するディエゴと呆然とするアポロを見比べ、長い溜息を吐いた。
「オルドリン嬢の行方がわからないのは確かだ。だけど、そんなに慌てたら見つかるものも見つからないよ。そこの魂の抜けたおまえもさ」
人攫いに遭ったわけではなさそうなんだろ、とディエゴに確認し、ノアはアポロの背を叩く。
「自分からいなくなったんだとしたら、オルドリン嬢が愛想を尽かしたんじゃないのか。むしろ、今まで逃げないままのほうがおかしいだろう」
叩かれた衝撃のままよろよろとアポロはへたりこんだ。オルドリンを拒絶した報いなのか。オルドリンからの口付けを、自分は逃げ出してしまった。彼女が自分へのの好意を見せたことが怖かった。だって、いままでの自分たちは監禁者と被害者だ。そこに恋愛感情が生まれてしまったらオルドリンを縛り続けることができなくなる。自分が悪人でいられなくなったらオルドリンも共犯者になってしまう。
「ノアにオルドリンの何がわかるんだ……」
恨み節のように呟いた独り言に、それまで腕を組み動向を見守っていたヨハネが静かに息を吐く。真紅の瞳が細められ、薄い唇が形を変えた。
「君こそ、彼女の何かを判っていたのかな。オルドリンが逃げ出したとしても、彼女の身柄は未だ君のものだろう。君が彼女を買ったんだから」
脳裏に過ったのは、あのルナリアと交わした契約書だった。自身の血を混ぜて署名したあの契約書には魔術的な加工がなされていた。あれがある限り、オルドリンは自由にはなれない。
「……オルドリンを探してくる」
どうぞ、とギルドマスターは喉を鳴らして笑う。後を追おうとするノアとディエゴを制止し、微笑みを浮かべてアポロの背を見送った。
もう二度とこの館に足を踏み入れたくはなかった。昼間でも薄暗い街外れの路地に佇みアポロは一人呟く。かつてこの館を訪れたとき、アポロは義憤に満ち、その結果酷い目に遭った。今や自分が金で買った少女に依存し、自分のものにしようとエゴに支配されている。館の主人が言っていた、慈善事業だという言葉を思い出す。そうだ、確かにその通りだった。ただしオルドリンへの救済ではなく、逆に救われているのはアポロのほうなのだが。
長身の種族らしい飾り彫刻の大きな扉を開けると、そこには商談を終えたところらしき男女がいた。男はルナリア、そして女はセリアン。香の焚かれた薄暗いフロントに、女の偏光の髪が光る。
「オルドリン!」
間違いない。探し求めていた人の姿を見つけアポロはなだれ込むようにカーペットに手をつく。良かった、やはりここに来ていたのだ。深い安堵とオルドリンの無事に胸が熱くなる。
「アポロ。……探しに、来てくれたのね」
アポロを見下ろし、オルドリンが寂しそうに呟いた。外套を羽織り佇む彼女は、麻袋と一枚の紙を手にしていた。
「オルドリン……良かった……さあ帰ろう。今度は一緒に出かけよう、君の行きたいところに連れて行ってあげるよ」
オルドリンの腕を引き、アポロは戸の外へ連れ出そうとした。しかし、オルドリンは固く動きを止めたままだった。唇を固く引き結び、気まずそうな顔で目を伏せる。オルドリンの妙な態度にアポロの表情が曇ると同時に、ルナリアの男が二人を引きはがした。
「残念ながらそれは叶わぬ相談だ。何故なら彼女は、もう君のものではないからだよ。アポロ・シルバースタイン君」
ルナリアの男はオルドリンの手から紙を取り、アポロの目前に突き出した。金の前髪の隙間から義眼が覗き、アポロはこの男があの日の店主であったと気がついた。
紙にはアポロの署名の上から赤黒い線が引かれ、同じく赤黒く酸化したインクでオルドリンの名が記されていた。オルドリンの身柄の所有者を表す契約書。その契約人をオルドリンに上書きしたなによりの証拠だった。
「待ってくれ、契約者の僕の許可もなしにそんなことが……それに、そんな大金ははいったいどこから」
返事の代わりに義眼の店主は麻袋を開けた。革手袋の指先に掴まれた瑠璃色の結晶。
「竜水晶……」
探索の時に何度か目にした樹海の産物。一部では高値で取り引きされているとも聞いていた。それを目当てに多くの冒険者が世界樹に流れ込んだほどの貴重品だ。
「これだけの量があれば価値としては十分すぎるほど十分だ。それに君に渡した控えも彼女は持っている。契約更新には申し分ない」
アポロが震える手で目前の契約書を手に取ろうとするのを店主は引き抜き筒状に丸めた。紐で綴じられた契約書を手に、オルドリンはアポロに目を向ける。
「これがある限り私は貴方のものだった。でも、もう私は誰のものでもない……さよなら、アポロ」
これが、オルドリンの意志なのか。オルドリンは、アポロから契約書を盗んでまで自由の身を選んだ。今頃ディエゴは必死にオルドリンを探しているのだろう。でも無駄だとわかっていた。
たとえオルドリンの居場所がわかっても、オルドリンはもう戻ってこない。
薬草園の中、アポロは一人で花を毟っていた。探索に使用するものとは別に、アポロは大量の植物標本を作製していた。魔術のかかった強化ガラスの中の標本は時を止めたまま息づいている。アポロが樹海に潜る理由の一つは、植物の採集のためだった。その中に保管する花を選別していたはずなのに、アポロはただぼんやりと花弁を千切る以外のことが出来ずにいた。
千切った花弁から強い香りが立ち上る。鼻腔から脳に直接作用する香りは、普段のアポロだったら厳重注意のラベルを付け最新の注意を払って管理するものだった。
視界が揺れる。ガラスの試験管達がきらきらと乱反射してあのときの竜水晶のように瑠璃色を見せる。紫陽花のような偏光の花達は彼女の髪の色だった。
そうだ、オルドリンを愛していたんだ。オルドリンを幸せにしてあげることが、最初に彼女と出会ったときの誓いであったはずだ。なのに、彼女をアポロは拒絶してしまった。アポロと同様に、オルドリンも傷ついたはずだ。……オルドリンだって、傷ついたり、悲しんだりする少女だ。
きらきらと少女が笑う。宙に浮かぶ少女は涙を流し、怒りに眉間に皺を寄せ、また笑った。ころころと表情を変えるオルドリンは、今までの何よりも人間らしかった。これもまた、きっとアポロの前で押し隠していたことだろう。
オルドリンに謝らなければいけない。謝って、彼女の言葉を聞かなければいけない。そして伝えなきゃいけない。自分は彼女が好きなのだと。
「起きろアポロ!大丈夫か」
酩酊していたアポロを叩き起こしたのはディエゴだった。アポロは花の薬効で前後不覚になり、薬草園の地面に倒れ込んでいた。酷い頭痛に顔をしかめているアポロをディエゴは心配そうにのぞき込む。
「オルドリンさんの行方は、やっぱりあの君が言う人身売買の店が知っていると思う。場所を教えてくれ、アポロ」
ディエゴの砕身は痛いほど伝わってきた。この広いアイオリスの街を土地勘もないのに駆けずり回ってくれたディエゴに深い感謝を抱く。ディエゴがオルドリンに少なからず想いを寄せていることは薄々感じ取っていた。しかし、今ディエゴはオルドリンだけでなくアポロの身も案じてくれていた。
「大丈夫。……僕が行く。元はといえば僕が持ち込んだことだったんだ。自分でケリをつける」
ディエゴがほっとしたような顔をしたのは見間違いではないのだろう。実際ディエゴは、アポロに立ち直ってほしかった。ディエゴが愛したのは、アポロを追うオルドリンの横顔であったから。
「そうだよね。……わかった。これを持って行ってくれよ。きっと君たちを守ってくれる」
ディエゴはアポロに小さな巾着を渡した。小さな布地を縫い合わせた袋は、少し重い。
これはお守りみたいなものだから。……ヨハネから託されたんだ。そう呟き、ディエゴは背を向ける。アポロへのディエゴの願いを重みに感じ、アポロはしっかりと袋を握りしめた。
館の扉を開けたのはこれで三度目だった。オルドリンを買った一回目、オルドリンに別れを告げられた二回目。そして今は。
「本当に、後悔をしないんだな」
「ああ、僕はどうなってもいい。ただ、オルドリンの居場所を教えてくれ」
義眼の店主は黙って宙に光の軌道を描く。光の粒が一つに集まり、アポロの目の前に浮かんだ。
「それに従っていけ。ただし、契約は絶対だ。もし破るようなことがあれば、その光は君を切り裂くだろう」
「わかった。……必ず、守ります」
偏光の瞳に覚悟を満たし、夜のアイオリスの街へアポロは踏み出した。
光は迷路のような路地を抜け、行き止まりの小さな喫酒店の前で止まった。街に浸食した木々に今にも押しつぶされそうな構えの扉を開けると、幾人かの男女が談笑していた。カウンターに立つピアスの前髪の長い男に、親しげに話しながら水煙草を吹かすブラニーらしき医術士服の少女。そして、よく見知った顔が目を見開いてアポロのことを見つめていた。
「ノア……」
食器を洗っていたノアは、信じられないといった顔で突然の来訪者を見ている。
「オルドリンを匿っているのは、ノアだったんだね」
沈黙が小さな店を包む。その静寂を破ったのは、水煙草の女の笑い声だった。
「あははは!ノア、あなたの負けだよ。お姫様をちゃーんと助けに来たじゃない!」
けたたましい笑い声につられピアスの男も笑い出す。憮然とした表情でノアはアポロに向き直り問いつめた。
「……どうしてここがわかったんだ。俺は彼女の願いで助けた。この店のメンバー以外に誰にも相談はしていないし、この店自体、知っているものはほとんどいないはずだ」
「……この光が、導いた。ルナリアの魔術をセリアンは欺けない。オルドリンを出してくれ」
アポロの周りをくるくると回りながら明滅する光をノアは信じられないという目で見ている。ルナリアに協力を頼むなんて、普段のアポロから想像はつかないはずだ。まだ信じられない、そう目線が訴えるノアにアポロはあるものを見せた。
瞬間、ノアの顔色が変わった。そして、観念したという表れに二階へと続く扉を開いた。扉の向こうには木造の急な階段が続く。
「……オルドリン嬢が不幸になるようなことはしないでほしい。……彼女に頼みごとをされたのは初めてなんだ」
すれ違うときに呟かれた言葉を胸に刻み、アポロは軋む階段を踏みしめた。
「貴方って、本当に馬鹿よ」
オルドリンは小さく呟いた。
アポロの首筋には、金属の首輪が着いていた。先ほどまで宙を舞っていた光の粒も、首輪に埋め込まれた宝石に収まっている。ルナリアの意匠が施された彫刻は、不気味な輝きを放っている。
アポロは、オルドリンへの道案内の代わりに代償を払っていた。
代償として払ったのはアポロ自身の身柄だった。アポロは明日、あの店に売られる。この首輪は、一日だけの猶予の間逃げ出さないようにという縄だった。
「どうしても、オルドリンに会いたかった。会って……君の声が聞きたかった」
「馬鹿よ、馬鹿だわ。どうして、私なんかのために、貴方、自分がどうなるかわかっているの……?」
「わからないよ。……けど、君が耐えたことなんだ。僕も耐えてみせる」
小さな屋根裏部屋で、オルドリンは肩を震わせていた。アポロの小さな肩が、不思議なくらい広く見える。自分の胸ほどしかない背のアポロが背負った覚悟とはいったいどれほどのことだろうか。ああ、また私は人を傷つけてしまったんだ。そう考えれば考えるほど、胸が苦しく締め付けられる。
「……オルドリン。今まで、ごめん。僕が君を縛り付けて、苦しめて……でももう、君は自由だ。……最後に、謝りたかったんだ」
アポロは今までにないくらい晴れやかな気持ちだった。明日以降の運命はもうわからない。それは、ルナリアに身を売らなくともオルドリンのいない世界では結局閉ざされた未来というところでは同じことだ。だからこそどうしても会いたかった。
「アポロ……私、貴方が怖かったのよ。もう、私のために何かをしてくれる人と一緒にいたくなかった。どうして、私に……」
「……好きだからに、決まってるじゃないか」
やっと、言えた。ずっと言いたくて言えなかった言葉。最初に言わなければいけなかった。こんなに拗れた関係になる前に、最初に伝えなきゃいけなかったのに。
目に滴をいっぱいに溜めたオルドリンを静かに見上げる。今にもこぼれそうな涙に愛おしさが募り微笑みが洩れる。
つま先で身を上げ、オルドリンの唇にそっと唇を重ねた。手を伸ばし、柔らかな髪を撫でる。三角の耳に手が触れると身を委ねるように柔らかく角度を下げた。
微かな触れ合いののち、ゆっくり身を離しオルドリンに背を向ける。約束の時間は明日だったが、これ以上一緒にいたら離れたくなくなってしまう。この階段を降りれば、もうアポロは二度とオルドリンと会うことはない。
「さよなら、オルドリン」
そういえば、彼女を泣かせてしまった。最後に見る表情は泣き顔になってしまうんだな。そう幾ばくかの切なさを思いながらアポロは一度だけ、振り返った。
振り返ったアポロの袖を掴んだのは、オルドリンの腕だった。
バランスを崩し倒れ込む二人。もつれ合い、気がつくとオルドリンがアポロの太腿に跨がっていた。
「やっぱり、貴方って馬鹿よ。……私の答え、言えないじゃない」
オルドリンのすらりと延びた体躯がしっかりとアポロの身体を捕らえる。頬に手を当てられたと思った矢先、唇が重ねられた。
二度の口付けとは違う、求め合う深い口付け。オルドリンの舌がアポロの唇を舐め、アポロはオルドリンの意味していることに気がついた。身を寄せるオルドリンの背を撫で、甘い唇の接合を享受する。かろうじて持っている知識を総動員し舌を吸えば、熱い唾液を飲み干す音が聞こえた。
お互い異性と求め合うことは初めてだった。実際には何度もオルドリンの身体に触れてはいたが、それは求め合うとはほど遠い互いに一方通行の行為だった。互いをもっと欲しい。互いに求め方もわからぬまま、欲求が燃え上がり身を焦がす。
オルドリンがアポロのスラックスの上から足の付け根に触れた。布越しにもわかる熱の塊にオルドリンの頬が朱く染まる。そのままごく優しく撫でると、アポロが呻き声を上げて瞳を潤ませた。
「オルドリン……触って、もらってもいい……?その、直接……」
頷いてアポロのベルトを引き抜き、スラックスを下げる。下着をかき分け男根を露出させると、既に硬く立ち上がっていた。
十かそこらの子供程度の背だというのに、おそらくこの根はアースランの男の平均かそれ以上はきっとあるのだろう。男性の陰茎をこうしてまじまじと眺めるのは初めてだったが、こんなものを普段納めていたのかとオルドリンには不思議でたまらない。
繊細なものだとは聞いていたので、そっと力を込めないようにして握る。先の丸い部分と皺の寄った棒状の部分とであまりにも見た目が違いすぎて奇妙だ。しかし、握った手には火傷してしまうのではないかというような熱が伝わり思わず小さく息を吸い込んだ。
表面は柔らかいが、芯を感じる感触。拙く握っては弛めを繰り返していると、アポロが掠れるように声を上げるのが面白い。確かこうだ、と昔に聞いた猥談の内容を思い出しながら握った手を上下させると男根がびくびくと脈打った。
先端から蜜のようなものが零れ、滑りが良くなる。ふと目をアポロに向けると、顔を覆い歯を食いしばって快楽に耐える姿がオルドリンにはとても愛おしかった。
もっと、気持ちよくなって欲しい。自身の下腹部に疼く熱をオルドリンも感じていた。今までにアポロにされてきたことを思い出し、胎内が蜜を吐き出した。もう、耐えきれない。オルドリンは目の前で震える鈴口に舌先を当て、快楽の雫を舐めとった。
「ぅ、あ、オルドリン、それは、駄目……うっ……!」
突然、間欠泉が湧き出るかのように鈴口から白濁の液体が放たれた。いきなりのことに目を白黒させたまま、オルドリンは溢れる精液を浴びるがままになっている。ぱたぱたと朱い鼻や頬に白濁が落ちる。
最悪だ。アポロは真っ青になってオルドリンの様子を伺った。怒らせてしまったか、それとも呆れられてしまうだろうか。なんと声をかけるか考えあぐねていたときだった。
「アポロ、これが、精液……?」
指で降りかかった白濁をぬぐい取り、まじまじと眺める。物珍しそうにも、高揚に染まっているようにも見える瞳のままオルドリンは指を口に含んだ。
「ちょ、だ、駄目だよオルドリン、それは汚……っう」
指に付いた精液を眉間に皺を寄せながら舐めとると、そのまま唇で萎えた男根を口に含んだ。アポロの鈴口から溢れる残渣を丹念に舐り取られ、声にならない喘ぎが喉から絞り出される。そんなことまで、そう心では思いつつ身体は正直に股間に血を送る。愛しい少女が自分の男根を頬張っている。その見た目からの刺激もあまりにも強すぎた。
このままじゃまた吐精してしまう。なんとか制止しようとオルドリンの頭に手を触れようとして三角の大きな耳を掴んでしまった。
「ひゃ、ああっ!!や、アポロっ!」
口淫を制止しようとする目論見は当たったが、代わりにオルドリンの金の瞳がじっとりと熱に浮かされていることに気が付いた。さっきまで陰茎を咥えていた唇はまだ白濁に汚れ、肩を大きく上下させて興奮に身を任せている。
互いの潤んだ瞳が交差した。オルドリンは履いていたボトムスとじっとりと湿りもう用を成さない下着を引きずり下ろす。
体勢を変えようと身を起こすアポロを、オルドリンは自身の身体ごと再び押し倒した。
「アポロ……もう、限界……」
再び硬く立ち上がった男根に、オルドリンの秘肉があてがわれた。熱を持って潤んだ肉襞と亀頭が濡れた音を立てて触れ合う。
男根の先が逃げないよう先端を押し込み、オルドリンは腰を強く落とした。
「ひ、あああああっ……!!あ、や、きつ、つなが、って……」
狭い壁を押し分けて進む肉の塊に、オルドリンは口を開き酸素を求める。
愛しい男の分身が、身体の中にある。そう考えるだけで目眩と熱い涎が子宮から吐き出されていた。
潤滑は十分だったが、まだ慣らしの足りない膣内は熱を強く締め付ける。締め付けの度に膨らむ胎内の熱に、たまらなく恋しさが溢れる。
もっとずっとこうしていたい、ずっと繋がっていたい。そう願うほどぞくぞくと快楽の波が繋がり合う接合部から神経を通じ脳を焦がしていた。
接合の悦びにオルドリンが浸っている中、突然腰をアポロが突き上げた。
「っう、ああ、あっ、ああ……っ!」
急な衝撃に喉から叫びが溢れる。腰の下から深い突き上げがオルドリンの最奥まで刺さり眼の奥から火花が散る。
「ごめん、もう我慢できないっ!オルドリン、オルドリンっ!」
両腕ががっちりとオルドリンの腰を掴み、激しくに揺さぶる。騎乗するかのような激しい揺れとそれに伴いめちゃくちゃにかき回される膣内にオルドリンは喘ぎ続けることしかできない。
「ああ、や、くぅ、あああっ、あぽ、ろ、あぽろぉっ」
オルドリンもいつしか腰を上下させ快楽を貪っていた。深く落とす度に最奥の敏感なところを叩きつけられ身悶えする。アポロの男根が子宮口を叩く度に仰け反りもっと、もっとと叫びたくなる。
アポロを抱き寄せたい。もっと傍に体温を感じたい。倒れ込むようにアポロの胸に身を寄せると、アポロの大きな手がオルドリンの服をはぎ取っていく。
柔らかで豊かな乳房が露わになると、アポロの唇が先端に吸い付いた。
過敏な箇所に強すぎる刺激。強く吸い付かれるほど切ないような恋しいような感情が波になって子宮に甘い疼きを送る。
「っは、オルドリン、可愛いよ、オルドリン……」
大きな手のひらで芯まで揉みしだきながらオルドリンの乳房を享受する。その間にもぐりぐりと男根は熱を持って隘路を刺激し続けていた。
ぐっと強く抱き寄せられ、オルドリンの身体がアポロの胸板と密着する。
胸に顔を埋めるように抱き締められると、心臓の早鐘まで聞こえてしまいそうだ。
「オルドリン、愛してる……好きだ、好きだっ!」
腰を固定されての激しい抽送に必死にアポロにしがみつく。子宮口を何度もノックされ訳が分からないほどの気持ちよさが襲う。もっともっと、奥までこの人が欲しくなる。
「アポロっ……!欲しい、アポロ、中、出してっ……わたしに、孕ませてっ……!」
汗が雫となって互いの身体に落ちる。互いを求め合い、継ぎ目が無くなれと願うほどの絡み合い。
「あ、あああ、ぅああああっ……!!」
先に絶頂を迎えたのはオルドリンだった。強く千切れそうなほど膣内を収縮させ一滴残らず精液を搾り取ろうと獣のような叫びを上げながら全身を反らし痙攣していく。激しい収縮にアポロもたまらず最奥まで突き上げ、精を放つ。
熱い飛沫が胎内で浴びせられる度に、すべて飲み込もうとオルドリンの中が強くアポロを締め付ける。アポロも、一滴残らずオルドリンの中に注ぎ込もうと全身の力を振り絞りオルドリンの腰を掴む。
幾度かの絶頂を終え、ゆっくりと引き抜き二人は横たわった。まだ名残の荒い息を吐きながら、片時も離れていたくないと強く手を握り合った。
エピローグ
翌朝目覚めると、もう既にオルドリンの姿はなかった。窓ガラスに映る自分の首では宝石の中あの光が忙しげに明滅している。
もう、時間か。そう現実を叩きつけられ諦めにも似た寂寞が襲う。
オルドリンがもういないのは逆に好都合だったのかもしれない。……顔を見たら、離れたくなくなってしまう。
階下に降りると、あの義眼の主人がいた。ピアスの男に振る舞われた飲み物を傾け、アポロを見つめている。
「そちらから迎えに来てくれるとは、手間をとらせて申し訳ありません。でも、僕は逃げませんよ」
拳をぐっと握り、ルナリアの男を見上げた。自分がどうなるのか、もう迷いは無かった。
「そのことなんだが」
ラムの香り漂うグラスを飲み干し、義眼の主人は机上の袋をアポロに翳す。それは、あのときディエゴから手渡されたお守りだった。
「君の主人は私ではない。つい先ほど、君は別の者に買われたのだよ。……この、水晶をもって」
巾着の袋からは、今まで見た中でも強く輝く竜水晶が出てきた。形も良く、とても澄んで価値があるようなものに見える。
確かにお守りは荷物からなくなっていた。そして、そんなことをするような人はたった一人しかいない。
「……私が貴方を買ったのよ、アポロ」
扉の外から姿を現したオルドリンは、はにかんだように笑った。紫陽花色の偏光の髪が、吹き抜けるそよ風に揺れる。
「そして、その竜水晶はあなたのものでしょう。だから、これはあなたのもの」
手にしているのは、オルドリンの署名のついた新しい契約書だった。それは、アポロが自身を売り渡したときに署名したものでもあった。
「こんな紙切れに頼るから、私たちはわからなくなるのよ。……最初から、こうすれば良かった」
小さな音を立てて、契約書は縦に引き裂かれていく。裂け目が署名を分割した瞬間、青白い炎を立てて契約書は宙で燃え去り、灰も残さず消失した。
「オルドリン……!」
それ以上言葉が出なかった。金属の首輪は音を立てて金具が弾け床に落ちた。しかし、ほかのことはもうどうだっていい。愛しき人の元に駆け寄って、強くその身体を抱き締めた。
「……貴方って、そういう風に笑うのね」
柔らかな朝の風が、木々の香りを運んで二人を包んでいた。